生年月日は不詳で、紀元前11世紀に没しています。
中国語では王姜(ワン・ジァン)、英語ではWang Jiang。
中国の周朝第3代の王、康王の王妃。
康王との間に、後に周朝第4代の王となる息子、昭王をもうけます。
王姜に関しては、古代から伝わる文書に記載はなく、出土した青銅の碑文によると、西周初期の人物で康王の側室から、後に王妃になりました。王姜は太保と呼ばれる官職と会談し、周建国の功臣の1人である召公奭(しょう・こうせき)を呼び出したと言われています。
王姜は王室の経済問題を扱い、国王の軍事遠征に同行し、国王の要請に応じて役人に報酬を与えたり、王室の晩餐会や儀式を主宰するなど、重要な政治的役割を果たしたようです。