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Julia Antonia(ユリア・アントニア)

古代ローマの紋章

紀元前104 – 紀元前 39 年以降。

古代ローマの貴族女性。

 

父は執政官のLucius Julius Caesar(ルキウス・ユリウス・カエサル)。

母はFulvia(フルウィア)。

 

父方の祖父は父と同名のLucius Julius Caesar(ルキウス・ユリウス・カエサル)。

父方の祖母はPopillia(ポピッリア)。

 

弟に政治家で軍人、そして後に執政官となったLucius Julius Caesar(ルキウス・ユリウス・カエサル)がいます。彼も祖父と父と同名です。

 

ユリアは両親と弟と一緒にローマで生まれ育ちます。

「賽は投げられた」、「ブルータス、お前もか」の台詞でよく知られている、ローマの政務官で文筆家のガイウス・ユリウス・カエサルは、彼の曽祖父とユリアの曽祖父が兄弟で、親戚にあたります。

ユリアは、政務官のMarcus Antonius Creticus(マルクス・アントニウス・クレティクス)と結婚します。

カエサルは、ユリアと親戚関係であるため、彼女の息子達の政治的キャリアを後押しします。

紀元前74年、ユリアが30歳の時に、夫のクレティクスが亡くなります。

その後、彼女は政務官のPublius Cornelius Lentulus Sura(プブリウス・コルネリウス・レントゥルス・スラ)と結婚します。

紀元前63年、41歳の時に、ローマ転覆を狙った陰謀に加担した夫のスラが、その年の執政官だったキケロによって処刑されます。

紀元前43年、61歳の時に、元老院は、ユリアの息子のマルクス・アントニウスに対し、元執政官からなる交渉団を派遣することとし、ユリアの弟のルキウスもその一人に選ばれました。しかしこの交渉団は結局派遣されず、その後、元老院派軍と初代皇帝アウグストゥスの軍団の連合軍と、マルクス・アントニウス率いるカエサル派との間で戦いが勃発し、ムティナの戦いと呼ばれるこの戦争で、マルクス・アントニウス率いるカエサル派の一部が敗北します。戦いに敗れたマルクス・アントニウスは撤退に成功し、アウグストゥスと執政官のマルクス・アエミリウス・レピドゥスと同盟します。3人はローマを占領し、ユリアの弟のルキウスは粛清の対象とされる可能性がありました。ユリアはルキウスを自宅に匿い、「私はルキウスを匿い、今も匿っている。そしてお前が私達2人を処刑するまで、匿い続ける」とマルクス・アントニウスに告げました。マルクス・アントニウスはルキウスを赦す以外選択の余地はありませんでした。

紀元前41〜40年、63〜64歳の時に、ペルージニア戦争と呼ばれるローマ共和国の内戦が勃発します。ユリアの息子のルキウス・アントニウス、マルクス・アントニウスの妻のフルウィア、そしてペルージニアに住むウンブリア人らがマルクス・アントニウスを支援し、政敵のアウグストゥスと争った戦いです。この間に、ユリアはローマを去っています。彼女は、カエサルへの抵抗を続けていた元老院の重要人物、セクストゥス・ポンペイウスを警戒し、信用していませんでした。ポンペイウスがシチリアに滞在していた際、ユリアは息子のマルクス・アントニウスによって三段櫂船(地中海で使用されていた軍船)に護衛される船団に同乗して、ギリシャへ送られました。

紀元前39年、65歳の時に、ユリアはマルクス・アントニウスと共にイタリアへ戻ります。三頭政治と呼ばれる、三人の有力政治家による政治体制の和解後のことでした。この年、アウグストゥスとポンペイウスがミセヌム(現在のイタリアのナポリ近郊)で停戦協定を結んだ、ミセヌム協定の会談に、おそらくユリアも出席していたとみられています。

 

ユリアは子育てに熱心だったとされ、古代ローマのギリシア人著述家、プルタルコスは、彼女のことを「当時最も高貴な生まれで賞賛に値する女性の一人」と称しています。

また政治家、弁護士、文筆家で哲学者のマルクス・トゥッリウス・キケロも、彼女を「模範的な女性」と評しています。

 

ユリアとマルクス・アントニウス・クレティクスの間には、以下の子供達が生まれました。

Antonia(アントニア)。20歳頃に政務官で執政官のプブリウス・ウァティニウスと結婚しましたが、彼女は30歳頃に亡くなりました。

Marcus Antonius(マルクス・アントニウス)。政務官。絶世の美女として知られる、プトレマイオス朝最後の女王、クレオパトラの結婚し、彼女の支援を得てパルティア(古代イランの王朝)遠征を行うも惨敗を喫します。その後も勝利に恵まれず、自殺しました。

息子のマルクス・アントニウス

Gaius Antonius(ガイウス・アントニウス)。都市法務官。カエサルが暗殺された後、マケドニア属州の総督に任命されます。ブルータスを含めたカエサルの暗殺者達は、カエサルの姪の息子で、後に彼の養子となった初代皇帝アウグストゥスから逃れるため、マケドニアへ避難します。そしてガイウスから総督の職を剥奪しました。ブルータスは当初、ガイウスを丁重に扱っていたようですが、その後ガイウスが反乱を企てていることを聞き、彼はブルータスによって死を命じられました。

Lucius Antonius(ルキウス・アントニウス)。政治家、軍人。後に執政官を務めます。アウグストゥスに対抗するため、軍を編成し蜂起しますが、アウグストゥスの軍が接近すると、ルキウスはペルシア(現在のイタリアのペルージャ)へ逃れ、籠城した後降伏しました。ペルシアは破壊され、ルキウスはアウグストゥスによって助命され、ヒスパニアの総督に任命されました。

息子のルキウス・アントニウス