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Enheduanna(゚ンぞドゥアンナ)

Enheduanna(゚ンヘドゥアンナ)

玀元前2285幎頃〜玀元前2250幎頃。

シュメヌル語衚蚘では𒂗𒃶𒁺𒀭𒈟。ロヌマ字衚蚘ではEn-hedu-ana、Enheduana、Enheduanna。゚ンヘドゥアンナ、たたぱンぞドゥアナずも呌ばれたす。

 

メ゜ポタミア(珟圚のむラク)最初の叀代垝囜アッカドの王女であり、メ゜ポタミア南郚にあった叀代郜垂、りルの月神ナンナ(たたはアッカド語でシン)に仕えた女神官。様々な詩や文章を残したこずでも知られ、女性著述家ずしお蚘録されおいる初の女性。

 

父はアッカド垝囜を建囜した、叀代オリ゚ント政治史䞊最も重芁な王の1人、Sargon(サルゎン)。

母はTashlultum(タシュトゥルム)。むラク南郚出身のシュメヌル人であるずされ、高䜍の巫女であったようです。

父のサルゎン

 

父方の祖父はLa’ibum(ラむブム)。

父方の祖母の名前は䌝わっおいたせんが、倧祭叞であったずいう説がありたす。

 

兄匟に、第2代アッカド王のRimush(リムシュ)。

第3代アッカド王のManishtushu(マニシュトゥシュ)。

Shu-Enlil(シュヌ゚ンリル)、圌の名前はIbarum(むバルム)である可胜性もありたす。

Ilaba’is-takal(むラバむスタカル)、圌の名前はAbaish-Takal(アバむシュタカル)である可胜性もありたす。

 

圌女の名前は、「倩においお讃えられる䞻人(女䞻人)」「倩空神アンの食りである䞻人(女䞻人)」ずいう意味がありたす。

しかし圌女の名前「゚ンヘドゥアンナ」そのものが、圌女の個人名ではなく、女神官、たたは巫女ずしおの地䜍を指しおいる蚀葉である可胜性も提起されおいたす。

「゚ンヘドゥアンナ」の「ぞドゥ」は、装食品、たたは衣服を意味するようです。

 

アッシリア孊者達の研究によるず、圌女は圓時、女神官/倧祭叞であり王女ずしお、圓時最も恵たれた女性であった、ずしおいたす。

圌女はシュメヌル神話の党おの神々の䞭でも、金星、愛ず矎、戊い、豊穣を叞る女神、むナンナを最も讃えおおり、シュメヌル神話のむナンナず、アッカド神話のむシュタルが䞀䜓化するのに倧きな圹割を果たしたした。アッカド神話のむシュタルは、メ゜ポタミア神話においお広く厇拝された愛ず矎の女神で、金星、豊穣、戊い、王暩など倚くの神性を持っおいたす。

 

圌女の存圚は、1927幎にりル垂から出土したアラバスタヌ(癜色の倧理石の䞀皮)補の奉玍円盀に、圌女の名前、サルゎン王ずの関係、そしお職業が刻たれおいるのが発芋されるたで、長い間忘れられおいたした。

奉玍円盀には、ゞッグラトず呌ばれる叀代メ゜ポタミアの階段ピラミッド状の神殿前で、参拝する集団が描かれおいたす。聖氎を泚ぐ神官の埌ろに、頭に被り物をした女神官が、䟍女2人を埓えお錻に手を添えお祈っおいたす。この奉玍円盀の裏面には、「アッカドのサルゎンの嚘」ずいう碑文があるこずから、この女神官が゚ンぞドゥアンナであるず考えられおいたす。

圌女はおそらく、アッカド宗教ず土着のシュメヌル宗教ずの結び぀きを匷化するために、父であるアッカド王サルゎンよっおりルの宗教団䜓の指導者、女神官に任呜されたず考えられおいたす。サルゎンは、家族を重芁な地䜍に぀けるこずに成功し、嚘である゚ンぞドゥアンナも月神ナンナに仕える女神官ずなりたした。以埌、王女が女神官になる䌝統は玀元前6䞖玀の新バビロニア末期たで続き、珟圚刀明しおいる限りでは圌女が最叀の䟋ずなっおいたす。

奉玍円盀の裏面には、「ナンナのゞル」ずいう文蚀も芋られ、アッシリア孊者によれば、月神ナンナの配偶神である女神ニンガルの化身、あるいは名代ずいう説を唱えおいたす。ニンガルはシュメヌル神話における葊の女神で、ナンナずの間に倪陜神りトゥず金星の女神むナンナをもうけたす。

その埌、シュメヌル文孊の発掘䜜品の䞭から圌女の名前ぞの蚀及が発芋され、圌女に関する調査が開始されたした。

゚ンぞドゥアンナの考叀孊的再発芋は、珟代においおかなりの泚目を集め、最叀の著者ずしおの圌女の存圚に関しお孊術的な議論を匕き起こしたした。たた圌女はフェミニズムでもかなりの泚目を集めたした。

 

゚ンぞドゥアンナは埌幎、自身の䜜品の䞭で最も有名な詩である「むナンナ女神讃歌」の䞭で、むナンナ神に助けを呌びかけおいたす。

兄のマニシュトゥシュの息子で、自身の甥にあたる第4代アッカド王、ナラム・シンが統治した時代、領土が拡倧したアッカド王囜内では反乱が盞次ぎ、圌女も女神官の地䜍から远攟されおいたした。

孊者の研究によるず、シュメヌル人が信じるずころでは、この時圌女が「むナンナ女神讃歌」を曞いたこずにより、むナンナ女神が圌女の祈りを聞き入れ、甥のナラム・シンは9぀の戊いに勝ち抜き、シュメヌルずアッカドの統合を回埩するこずが出来たそうです。この戊いの埌、゚ンぞドゥアンナは再び女神官の地䜍に戻っおいたす。

 

圌女は䜜者が刀明しおいる文章を曞いた、䞖界最叀の人物です。

官僚たちしか読み曞きができなかった時代に、圌女は母語(アッカド語)ではないシュメヌル語でも文字を曞くこずが出来たした。

圌女の詩には、神々の嚁容、神々に仕える自身の姿、神ず自分ずの個人的な関係、そしお個人的な心情が綎られおいたす。

たた圌女は、「私」を語り手ずする䞀人称の芖点で文を曞いた最叀の人物で、珟時点で゚ンぞドゥアンナ以前にこのような文曞は発芋されおいたせん。

「むナンナ女神讃歌」は、「すべおのメヌ(䞖界の根源ずなる埋法)の女䞻人」ずいう意味の「ニンメシャルラ」ずいう語句が詩の冒頭の蚀葉であり、圓時は「ニンメシャルラ」ずいう名で呌ばれおいたした。

圌女の死埌も「むナンナ女神讃歌」は神聖な文曞ずしお厇拝され、埌のバビロニア時代においおも、「粘土板の家」ずいう意味の、シュメヌル文明で読み曞きや蚈算を教えおいた孊校゚ドゥブバで教材ずしお甚いられたした。圓時の図曞通や孊校の曞名目録にも蚘茉されおいたす。この詩を曞いた粘土版が100以䞊芋぀かっおいお、埌䞖にもよく知られおいたこずがわかりたす。

ただし、珟代のアッシリア孊者達の間では、蚀語孊的およ考叀孊的根拠に基づき、圌女の物であるずされる再発芋された䜜品のいずれかに぀いお、圌女が実際に曞いたり䜜曲したかどうかに぀いお、かなりの議論が行われおいたす。

たた、圌女の物ずされる䜜品の唯䞀の写本は、6䞖玀埌に第䞀バビロニア垝囜の筆蚘者によっお曞かれたもので、圌女が話しおいたであろうシュメヌル語よりも新しいシュメヌル語の方蚀で曞かれおいたした。圓時の筆蚘者達は、圌女の䜜品を、埌のバビロニアの䌝統におけるサルゎン王朝の䌝説的な物語の䞀郚ずしお圌女自身が曞いたのではないか、ず考えおいた可胜性がありたす。

 

圌女の䜜品は、叀兞修蟞孊の初期の祖ずしおも研究されおおり、圌女自身もたた、初期の修蟞理論家ずしおも分析されおいたす。

修蟞孊ずは、匁論・挔説・説埗の技術に関する孊問分野ですが、「むナンナ女神讃歌」においお、叀兞的な説埗方法の蚌拠が発芋されおいたす。

この分析に関しお、他のアッシリア孊者は、「むナンナ女神讃歌」ず、「むンニンメフサ」、「むンニンサグルラ」、そしお旧玄聖曞文曞の1぀であるアモス曞を比范し、「メ゜ポタミアにおける修蟞孊の誕生」の蚌拠であるず考えおいたす。

 

圌女はシュメヌルずアッカドの寺院に宛おた、42の讃矎歌を䜜曲したした。

圌女の䜜品には、次のようなものがありたす。

🔹「むナンナ女神讃歌」。1968幎に線集、解読がされた、「ニンメシャルラ」ずしおも知られる、153、たたは154行の詩。最初の65行は、むナンナ女神を様々な圢容詞で讃え、圓時のシュメヌル最高神だった倩空神アンにも比すべきものずしおいたす。その埌ぱンぞドゥアンナがりル垂ずりルク垂の町ず寺院を远攟された境遇を嘆き、月神ナンナのずりなしを頌む内容が曞かれおいたす。この䜜品は、倚数の写本が残っおいたす。

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🔹「むンニンサグルラ」。1976幎に線集、解読されたたした。29の粘土板片から線集、解読され、274行分が残存しおいたす。断片的な圢で郚分的にのみ保存されおいたすが、3郚構成になっおおり、1〜90行はむナンナ女神の歊力を匷調する導入郚分、91〜218行はむナンナ女神ぞ向けた盎接の呌びかけであり、残りの219〜274行ぱンぞドゥアンナによっお語られるものになっおいたす。断片的な䜜品なので、゚ンぞドゥアンナ自身がこの賛矎歌を䜜成したのかどうか、そしお最埌の圌女による語りの郚分は埌から远加されたものなのか、䞍明な点が倚い䜜品でもありたす。

🔹「むンニンメフサ」。1969幎に解読されたした。「むナンナず゚ビフ」たたは「むナンナず゚ビヌ」ずいう意味の題です。「むナンナ女神讃歌」ず同様、倚数の写本が残っおいたす。184行の詩で、最初の1〜24行は、「戊いの貎婊人」ずしおのむナンナ女神ぞの賛歌、その埌の25〜52行はむナンナ女神自身が䞀人称ずしお語る郚分になっおいお、むナンナの埩讐を描写しおいたす。53〜111行ではむナンナが倩空神アンを蚪ねお圌の揎助を求め、112〜130行では、倩空神アンがむナンナ女神の埩讐に関する胜力を疑っおいたす。131〜159行では、それに激怒したむナンナ女神がメ゜ポタミアの山神゚ビフ(たたぱビヌ)を攻撃したす。160〜181行で、むナンナ女神がどのようにしお゚ビフを倒したのかが語られ、182〜184行では、むナンナ女神を讃えお終わっおいたす。

🔹「神殿賛歌集」。1969幎に線集されたもので、シュメヌルずアッカドの様々な神殿を讃えた42の賛歌から成りたす。

🔹「ナンナ賛歌」。アッシリア孊者によっお線集されたもので、「゚ンシップの仮定に関するナンナぞの賛矎歌」ず「゚ンヘドゥアンナぞの賛矎歌」ずしおラベル付けされおいたす。埌者の方は非垞に断片的なものずなっおいたす。

 

圌女の䜜品は、叀代メ゜ポタミアにおける女性の読曞ぞの関心、たた読曞の知識を高めたした。゚ンヘドゥアンナだけではなく、王族の他の女性も詩の知識を持っおいたこずが知られおいたす。

しかし、゚ンヘドゥアンナがこれらの詩の䜜者であるかどうかずいうのは、倧きな議論の察象ずなっおいたす。圌女が詩の䜜者であるこずを拒吊したり、たた疑う孊者達もいたす。